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被災地におけるセラピストの最善の実践

ニューオーリンズにて精神衛生に関わる専門家たちが、街がハリケーンによって甚大な被害を受けた後に、元の生活と仕事を取り戻す為に行った、個人的、専門的な実践を記述します。このプロジェクトのためにインタビューを受けた臨床家たちは、災害直後の混乱の中で、役に立ったこと、役に立ったであろうこと、そして全く役に立たなかったことを考察しました。この内容は様々な体験に基づいています。

準備すること

クライエント、仕事仲間の名前、電話番号、メールアドレスを確保すること

インターネットに繋がる携帯又はコンピュータなしに避難することは絶対にしません。携帯メールは携帯が繋がらないときに大変重要です。ハリケーン・カタリナの後、携帯が繋がらないことは頻繁にありましたし、避難したり移動したりしている人がたくさんいたので、普通電話はあまり役に立ちませんでした。

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1 of 2 保険に入っておいたことは大変役に立ちました。仕事を再開するまでに時間的な余裕ができ、金銭的に必要に迫られてではなく、心の準備ができたときに再開することができました。

2 of 2 仕事を再開したくありませんでした。再開しなければいけなかったとき、泣いたことを覚えています。1ヶ月目は泣きましたが、お金が必要でした。

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災害直後の反応と行動:短期

あなた自身が必要としていることを優先する

1 of 2自分のことを優先することは当たり前のこと。そうすることは自分らしいことではないけれど、あの時はそれが必要だと強く感じました。

2 of 2家を再建しなければならず、夫の仕事も手伝う必要がありました。仕事のことはあまり考えられなかった。電話や携帯メールで自分の患者たちと連絡を取り合っていましたが、自分たちがやらなければならないことをし終わるまでは仕事を再開しませんでした。

ボランティア

回答者の多くは、ボランティアを通してサイコロジカル・ファースト・エイド(邦訳:心理的第一次支援)を提供したり、身体的・物理的に必要なものを確認にしたり、生存者の避難所の有無を確認したり、家族の再会を促したりすることが支えになったと感じました。

1 of 4初動要員が最善を尽くして働いているときに、彼らの生活の中で日常性を作り出す援助をする必要がありました。家族同士集うことは、非日常的な環境の中で日常性を作り出すことに役立ちました。。

2 of 4私は、FEMAが主催するホームレスの人たちに対して危機的カウンセリングを行う仕事をしました。すべての人たちがサービス、食べ物、衣類を必要としていて、難しい仕事でした。

3 of 4ハリケーンの一連のできごとを振り返ることができる人は数えるほどしかいませんでした。面接が5回を超えることは少なかったのですが、時々、長期に渡るケースがありました。

4 of 4私には、例え生産的でなかったとしても、毎日ボランティアセンターに行くことがよかったようです。日ごとに自分自身を取り戻していきました。最終的にまたお化粧をしてアクセサリーをつけられるようになったことは、とても大きな進歩でした。

ボランティアをする準備ができていないと感じる人もいました。

1 of 2ハリケーン・カタリナの直後、他者を助けるために何もできていないことに罪悪感を覚えました。何人かの同僚にはすぐに仕事に戻るよう強く勧められましたが、それは役立ちませんでした。セラピストとして、私たちは他人を助けることに注意を向けがちで、それができない時は苦しく感じます。

2 of 2自分に必要なことをできたと感じてから仕事に戻った時、安堵しました。ボランティアをしていたら、今もまだイライラしていたかもしれません。

同僚とすぐに連絡を取ること

1 of 4人脈を築いておくことはもっとも重要なことです。私のメーリングリストから始まりましたが、飛躍的に拡がりました。

2 of 4ある時、地元の心理学者がウェブサイトを作りました。そこには国内の求人情報や住居情報が記載されていました。

3 of 4私の職場の室長が、インターネット上で同僚同士が連絡を取り合えるシステムを作りました。この連携が生命線となり、慣れ親しんだものにつながり、出来事を共有したり、困難の中でもユーモアを見つけたりすることができました。

4 of 4同僚-彼らの居場所、やっていること、考えていること。地元なり、より広い範囲でのグループに属していることはとても助けになりました。もしそれがなかったら、もっと困難であったと思います。

災害後のクライエントへの連絡

多くの回答者は、クライエントからの連絡を待たずに彼らに連絡をとりました。 迷いはありませんでした。これまで33年やってきたように、責任を持って、自分の所にやってきた人を支援するために耳を傾け、ある程度の安心と慰めを提供しました。私の人生に数ヶ月、数年存在した人がどう暮らしているのか、聴く必要がありました。患者と話すときは、患者の質問に率直に答えました。

1 of 2普段は自分の居場所などを伝えないのですが、このような状況では、私がどこにいるのか、どのくらいの期間そこにいるのか、次にどこへ行くのかを明確に伝える必要があります。

2 of 2すべてが脅威にさらされているような状況では、精神的な基盤を保つために明確なことを維持する必要があります

災害直後の連絡と面接は工夫と柔軟性を要しました。

1 of 3技法を変えたり、患者のセルフケア方法を一緒に考えたり、必要であれば予定を変更したり、アドバイスをしたりと、柔軟性を示すことは大切です。

2 of 3以前は電話面接をやらなかったのですが、電話面接は日常的になりました。

3 of 3息子のアパートやカフェで面接をしましたがうまくいきませんでした。その後短期間でオフィスを借りることができ、一週間に7日面接をしたこともありました。

緊急事態収束後:長期

ここからが大変です。ゆっくりやってください。

1 of 4患者を引き受けるには、難しくはあっても、まず自己管理をしなければなりませんでした。それは自分勝手ということではありません。

2 of 4自分を大切にするために、6週間ごとに4日間休むことが必要でした。

3 of 4それまではやっていなかったジョギングを始め、ジョギングクラブにも入りました

4 of 4家にいることが好きになりました。元気がでる食べ物をたくさん作って、近所、家族、友達と分け合うのが楽しみでした。災害後初めてのマルティグラ(地域のお祭り)では、政治的に意味のある素敵な衣装を作りました。

個人的なセラピー

1 of 2ハリケーン・カタリナの後に欠けていると感じたのは専門家に相談することでした。友人や家族は大切ですが、彼らも同じように辛い経験をしているときに迷惑をかけたくないと感じます。

2 of 2精神分析、すなわちセラピーを始めることは、とても役立ちました。数々の喪失体験の記憶に後から苛まれないように消化しておきたかったのです。自分の身に起こっていることを整理する手助けが必要でした。

繋がり続ける

専門家の集まり

センターのクリスマスパーティーで会うことができました。予期しない旅から家に戻ってきたような感覚でした。

非公式な専門家の集まり

専門家同士の輪読会は大切でした。6人のグループは2000年から会っています。ここでは仕事で困っていることを話したり、自分に問うたり、非常事態でのセラピーについて考えたり工夫したりする、安全な場所になりました。ここでは支え合うというよりも、未知の状況の中でセラピーに何が求められているかについて考えて共有していました。

友人と家族

失望・絶望、喪失、苦悩に耳を傾けていると、私自身が友達・同僚・家族と共にいる必要性を感じました。

仕事に復帰する時

治療者の中にはオフィスを確保でき次第面接を再開する人もいましたし、面接をするほどの気持ちの余裕がないと感じる人もいました。これは個人の判断に依るところといえます。

1 of 5自分の喪失体験がとても大きかったので働かずにはいられませんでした。何もしないでじっとしていても状況はよくなりません。しばらくの間、(訳者注:自分の体験を振り返るよりも)他の人の困難に心を注ぐことはできると感じました。

2 of 5ニューオリンズに戻ったときは、仕事—仕事生活を通常化することーがいちばん心を安定させてくれるものとなりました。他のことが全くそうではない時にそれは親しみのあるものに感じました。

3 of 5自分が支援をとても必要としている時に、他人を支援することはできないと思いましたし、実際にできませんでした。その時初めて、無能力感を持ちました。

4 of 5クライエントの話を聴きたくないけれど、それは自分の仕事で,生計の手段で、アイデンティティでした。

5 of 5新しい患者さんを引き受けて彼らの話を聴くべきでないと直感しました。まず、自分が回復しなければと思いました。

症状の出現

物理的な回復作業に追われると、災害が脅威をもたらし地域に爪痕を残した際、生存のために払った心理的な代償に気付かないことが多々あります。心的外傷の症状が出始めるのが、災害から1ヶ月、1年、数年後になることは珍しくありません。

1 of 3まず基本的ニーズが充足してから連絡をとる必要があるかと思います。そこまでにしばらく時間がかかる患者さんもいます。

2 of 36ヶ月後、1年後に症状が悪くなった人が多くいました。

3 of 3トラウマはじわじわとやってきます。自分の身に起こったことを認識するのに時間がかかるのです。

コミュニティが心的外傷を受けた際のセラピー

トラウマ的な体験をした際には、眼球運動による脱感作および再処理法(EMDR)、認知行動療法、系統的脱感作(systematic desensitization)、催眠法と、多くの治療は症状を改善することを焦点に当てます。しかし、このような治療の後にも、治療者や患者は孤独感や不安に苛まれます。

以下の記述は、ハリケーン・カタリナ後に人々が臨床に関して抱いた疑問です

患者の状態を悪化させているのではないか。

セラピーの枠組みが壊れている—自分の体験のどんな部分を患者に伝えられればよいのか、そもそも彼らに知られてよいのか。

彼らの方がこの状況をうまく対処しているかもしれない。

セラピストとして“大丈夫”なはずだけれど、本当に自分は大丈夫なのか。

災害から立ち直っているのか、それともそのフリをしているのか。

治療面接に自分の経験から何を持ち込んでいるのか。

他にもこのように感じている人はいるのか。

上記の疑問をみると、このような状況下で治療を行うことには、数多くの困難と少しの報いがあることが考察されます。

技術

1 of 4明確な存在こそが大切です。どこにいても、何が起こっても、同一性を一貫して保持し続けることはできます。

2 of 4普段の仕事とは違います。

3 of 4これまで慣れ親しんだセラピーの仕事とは違うことをしました。通常のセラピーの体制での境界は通用しなくなりました。地域の資源や活動に関して多くの情報を共有しました。

4 of 42年後にやっと、災害時の患者さん達の心理的な変化を考えられるようになりました。

境界

どこで患者に会うか、いつ会うか、電話やメールで定期的な面接を行うか、すべてが新しいことでした。訓練を受けた際に習った規定を破らないわけにはいきませんでした。

セラピーの規定と境界は災害後に変わりました。このことでは特に困らなかったのですが、このようなことが起こりうるということは、他のセラピストも知っておいた方がよいかもしれません。

自己開示

精神衛生の規定では、治療者は患者の状況を聴くべきで、その反対ではないという共通理解があります。しかし、災害後、ある程度の開示は必要でした。

1 of 5患者は普段聞かないような質問をしました:家はどうなったのですか?損傷は?保険は?家族は?これまでになかったかたちで私たちが体験を共有していたことは事実でした。

2 of 5ほとんどの人が自己開示をしたと思っていますし、それが現実的でした。

3 of 5詳細を話さないのは人道的でないと思います。

4 of 5自分のことを話しすぎているときは、セラピーに戻る必要があります。

5 of 5自分の身に起こっていることが面接にどう影響しているかを注意深くみつめていました。それはいつもやることですが、お互いがその状況下におかれているときは、よけいに気をつけています。

患者の情緒を扱う

共有されたトラウマがある際に、患者の体験に共感し、その体験が自分の体験を思い起こさせるときはとても難しいです。治療者は面接中や後に困惑したり泣いたりしました。体験を共有する同僚やスーパーバイザーがいることは必須です。特定の患者をとらないというのも大切な技術です。時間が経つうちに、患者の体験を聴くことで不安になることは少なくなってきました。

1 of 3私の感情はあらわになっていて、積極的に励ましたり、涙や悲しみを隠せなかったりすることもありました。

2 of 3患者の話と自分の体験を比べることは、彼らとともに「いる」こととは違うことに気付きました。

3 of 3共有された災害は、私たちの仕事に新たな一面をもたらしました。取り込んだり患者の体験から身を匿ったりするのでなく、彼らが言っていることを直に体験することです。

承認

自分の被災体験を受け入れることができたセラピストは、患者の体験に耳を傾けて承認することがより的確にできたようです。治療が、患者の体験を検証するよりもセラピスト自身の痛みから逃れるために行われるときは、解離を促してしまうことになります。

1 of 2私のセラピストが、私に心的外傷を負わせたくない気持ちから「とてもよくやっている」と言ったときはつらかったです。彼は私が体験したこと理解できない、又は理解したくないのだと感じました。

2 of 2患者からの手紙:[セラピストに]自分が話題を選んで話していることは分かっていました。でもそのことを彼女に認めてほしかったのです。ついにまた連絡し、本当起こったことを話しました。彼女はすぐに、私が心的外傷を受けたことを聴きたくなかったと言いました。些細なことかもしれませんが、だいぶ気持ちが楽になりました。

このプロジェクトに参加したセラピストのコメント

 

1 of 5ハリケーン・カタリナから3年経ってようやく、仕事が元の状態に戻りつつあると感じますが、前と同じになることはないでしょう。

2 of 5仕事に対する喜びを再認識しましたし、患者にもそれが伝わっていると思います。軌道に戻ったと感じます。

3 of 5患者に対してより現実的で、心を向けていて、繋がっていると感じます。

4 of 5この経験で謙虚に、そして豊かになれたと思います。人生の複雑性、その感触を改めて感じています。トラウマの直の体験を多くの人と共有することは、ハリケーン・カタリナ以前にはよく把握していなかった彼らとの繋がりをもたらしました。

5 of 5個人的にも仕事でも変わったと感じています。この体験を共有することで、患者と私は成長し、私たちは人間であるということを理解しました。

共有されたトラウマの力動についてより深く理解したい方はブーランジェ博士のFearful Symmetry: Shared Trauma in New Orleans after Hurricane Katrina.を参照ください。

地域の枠を超えて支援を求める

災害があなたとあなたの専門家集団にもたらす長期の影響について考える準備はできていますか。

地域の外から精神衛生の専門家を招いて、訓練、支援、励ましを受けることはとても役立ちます。

地域の外から毎月グループを招き、専門家の活動報告と支援を受けることを希望されますか。地域外からの支援について詳しく知りたい方は、dr.kayoko.hayashi@gmail.comにご連絡ください。

外部者への進言

求められているところに出かけていく準備をしてください。個人面接をしている地元のセラピストを支援してください。

1 of 3[被災地に]外部の人が来ることについて複雑な思いを抱いていることがよくあります。外部者が私たちについて思い込みをもっているとうまくいきません。ハリケーンだけでなく、私たち自身や私たちの背景、歴史についても理解しようとしなければなりません。

2 of 3赤十字に避難所でのボランティアを要請されました。しかし何もすることがなく、ただ座っているだけでした。頼まれた仕事も、大して役に立つものではありませんでした。

3 of 3高度な技術を要しない具体的な仕事は、地元の人にやってもらうとよかったと思います。不安でいっぱいになってしまい、あれ以上することができませんでした。

求められている資源を提供する

1 of 2ハリケーン・カタリナの比較的直後にPTSDについて講演しにきた人がいました。彼が話し始 めるとすぐ手を挙げて質問する人が大勢いました。数分後に、彼は自分の発表を脇に置いて、 “あなた方にはたくさん話したいことがあるようですね。聴きましょう”と言いました。これはとても役立ちました。

2 of 2外部の人たちが来て、Baton Rougeに避難した就学児に対して支援グループを実施しました。私はスクールカウンセラーなのですが、境界を守らなければならないという理由で、その支援グループに参加させてもらえませんでした。それはとても無礼なことだと感じました。子ども達は私が提供することのできる継続性を必要としていましたし、彼らには、私が彼らの側にいることを知ってもらう必要がありました。